そんなワケで髪切りました
フォローさせている方の投稿に髪を切ったことが書かれていました。
“捨てること”が出来なかった40代。
50代に入って髪を切り、今とても楽しい、といったようなことが書かれていました。
それを読んだとき、私はそのことがとてもよく理解できたのです。
ちょっと今度出版される本とも関係しちゃうんですが、ワタクシ50歳を前にとてもシンドイ時期がありまして。
そのときに出会ったユングの言葉。
更年期は人生の正午。
午後になれば光が射し影ができる方向も変わる。
だから、午後は今まで影になっていたところに光を当ててあげるんだ。
っていうようなおはなし。
まぁ、人生イロイロある中で、何かに捉われることもあるし、何かを手放すことや、変えることができない時期ってありますよね。
昨年3月、20年ぶりに髪をバッサリ切りました。
ベラデッソを立ち上げると決まったときに、ふと髪を切ろうかなぁ、という心境になったのです。
そう思えたことは、私もまたひとつ自分が囚われていたことを手放すことになったのです。
実のところ、私はキリッとかっこいい女性にとっても憧れるのです。
若い頃、モードの世界に身を置いていた私にとって、自分の顔はすごーく普通っぽい。
個性的な強い顔に憧れが強かったんです。
だから、メイクもそういう方向に持っていく努力をしたし、髪型もそのひとつでした。
くるくるくせ毛でまとまらないってこともあるけれど、それだけじゃなく、自分の場合は髪をキュッとまとめないとほんとイケてないって思う。
だから、服を着こなしてかっこよく見せるには、そこは外せないところだったんです。
でも、ベラデッソのコンセプトを思ったとき、人生の午後、これからの時は、やっぱり笑顔なんですよね。
イメージするベラデッソの女性像は優しく微笑んでいるし、幸福感があり、涼しげ。
凛ともしているし、強さもあるけど、それは私がこだわっていたキリッとはまったく違う。
そう思ったとき、もうこの髪型でなくていいんじゃないかなぁ、と思ったんです。
そして漠然と思いました。
この歳になった今なら、もう髪型で大きく見え方や何かが変わることなく、私は私であれるんじゃないかな、と。
切ってみたら、やっぱり何か囚われていたものがなくなった軽さと、本当の自分と出会えた?ような気がしました。
それは見た目のことじゃないんです。
ちょっと背伸びしたり頑張ってたものを降ろして本当の自分が出てきたような。
なので今はすごく等身大な自分でいられている気がしています。
ありゃ、なんか真面目な話になっちゃいました?笑
ということで、ベラデッソの撮影では、キリッとした表情を見せることがあまりなく、、。
5月のコレクションに至っては、夏なので明るくチョー笑顔です(◠‿◠)
なので、こんな表情もいたしますのよ、ということで。
40代、雑誌和楽よりキリッなワタクシでございます〜。笑